里山の春 文化の森〜植物園 弁天山 2007/5/30
文化の森〜徳島市植物園縦走路 弁天山 地蔵院モラエス 義経の道    

先日、文化の森から尾根を歩き方上のドコモ鉄塔まで歩いた。

その先が気になっていたので散策に出かける。

また義経が越えたと言うあずり越えの謂われ等も知りたいし、日本一低い山弁天山も訪ねてみたい。

またあずり越えの近くにはモラエスが晩年オヨネとコハルを供養したとされる東海寺地蔵院もある。

10時過ぎに家を出て文化の森図書館に本を返して10時30分散策開始。

文書館の左から舗装路を登って行く。

この文書館は私の子供の頃になじみ深い旧徳島県庁の玄関の資材を使って建てられており

徳島の古文書が沢山保管されている。



興味深い資料も多いので後日ゆっくり訪問したい。



坂の途中にはヤマボウシが花を付けている。

紫陽花園に来るが花は咲き始めたばかり。

雨が少ない所為か元気がない。



写真を写していると、テレビカメラを提げた二人連れから「紫陽花は未だ早いですね。何を写しに来られたのですか?」

と話しかけられる。

「私達は撮影に来たのではなく、植物園まで歩きに来たんよ。」

ふと見るとイロハモミジの赤い実が沢山ある。

「このモミジの実なんか可愛いのちゃう?」

「これって珍しいんかなあ?」

「珍しくはないけれど知らない人も多いし写し方によっては綺麗かも??」

お聞きすると四国放送のカメラマンだとの事。

(帰ってTVを見ると6時のニュースの時に放映されていた。さすがにプロ。写し方によって素晴らしい映像だった)

私の写したのとはエライ違い。



イロハモミジの赤い実とイロハモミジの向こうに文書館



四月に来た時に満開だった八重桜に赤い実が..

大きな樹木に花が咲いている。



何の木だろう?

右の木は栗かな?



上の道と書かれた標識から階段を上る。

ドクダミの花も暗い所では綺麗。



ムラサキシキブの花かと思ったらヤブムラサキだと蘭ちゃんに教えて戴きました。

萼の所にもわっとワタの様なのが付いているのが特徴だとか。



こんな所にもコナスビの花が..

右の花はヤブムラサキとよく似ているが花の付き方が違う。何の花だろう?

これはムラサキシキブの花かも知れない。



ネズミモチの花がもうすぐ満開。

登りきった所の右に登山道がある。赤テープもあるので多分此処が登山口だろう。

10時58分。



結構キツい道を登りきると尾根道に出る。

この辺りが向寺山かな?

多分この道が滑り台からの尾根道だろう。

左へと曲がる。



所が何か変。

整備されすぎている。

ドンドン下りはじめて見晴らしの良い所に来る。

あれっ!日の峰が右に見えている。

これは違う。



丁度単独行の女性が来たのでお聞きすると東の展望台からの道だという。

植物園への道も教えて戴く。

ありがとうございました。

引き返して先ほどの分岐まで戻りそのまま真っ直ぐに行く。

NHKの電波塔に着く。



此処が滑り台からの尾根道だ。

左へ行くと直ぐに大滝山の明現神社。



ピンクのタツナミソウが可愛い。

11時20分。



クサイチゴの美味しそうな実を見ながら右へと下る。



一度登って190mのピークを下るとあずり越え。

この標石の下半分が割れて側にあると書いてあったが探しても無い。



帰りは地蔵院からこの道を登ってくる予定。

少し左へと行って様子を見る。

更に縦走路を進む。



緑濃い縦走路には立派な木が多い。

登りきると方上方面の眺望が開ける。

あの小さな緑の島の様なのが弁天島か?

(後で間違いと解りました)



方上ドコモ鉄塔11時50分着。



小松島の港を見ながら小休止。

此処からは初めての道。

ウツギの花はもう終わりかな?



舗装路を下ると道が複雑に交差している。

ヒョウタンボクを見ながら右に行く。



峠を越えるとまた車道が左右に走っている。

此処を右に行けば上八万に出るのだろう。

家から歩いてくる事も出来そうだ。

車道の手前左にロープがある。

此処が教えて戴いた登り口だろう。

斜面に取り付いて木を掴もうとしたら大きな毛虫が何匹も枝に付いている。

先日の高越山で酷い目にあったのを思い出す。



なだらかな道を登りきると229mのピーク。

洒落た家が建っていた。



新緑の綺麗な道をドンドン行くと左斜面が伐採されている。

何でこんな所の木を伐採したのだろう?

直ぐ下に動植物園が見える。

まさか此処まで植物園にする為に伐採したのではないだろう?



気持ちの良い尾根道をドンドン行く。



やわらかそうな若葉は何の木?

下り始めると木の枝に標識がある。



真っ直ぐにも道が付いており赤テープも見えるが植物園は左だと示している。



少し下ると舗装路があり草原となる。

出口に通行禁止と書いてある。

?私達は通行禁止の所を歩いてきたのか?

つまり「ここから先の林や山道は植物園の園外なのでマムシやスズメバチに襲われても市には責任有りませんよ。」

との注意書きだと思われる。



真下に遊園地が見える。



市民の森と表示されているこの広場は木々が全て伐採されていて荒れた草地となっている。

またこれから木を植えるのだろうか?

キンシバイや訳の分からない派手な花が植えられている。

これが植物園??

東京の小石川や白金などの植物園の様に昔からの植性を大事にしている植物園と何と異なっている事か?



立派なコンクリートの散策路や東屋がある。

散策路の脇には色々な木が植えられている。

左ネズミモチ。右はイタヤカエデ



イロハモミジとハウチワカエデ



何と贅沢な植物園。

人っ子一人居ない。

真下に遊園地が見えるが此処も人影はない。

向こうに見える山は中津峰山。



幅6m位有るコンクリートの車道が白く輝いている。

その脇に階段道が設置されている。

ムラサキカタバミやヨウシャヤマゴボウが植えられている?

多分造成土の中に種子が混ざっていたのだろう。



この道は紫陽花小道と名付けられている。



やがて大きな駐車場に出る。

シモツケの花が満開。





立派な森の相談所があり沢山の職員が待機している。

みんな背を向けて、テレビに夢中で入場者に気づく人もいない。



植物園と言うよりガーデンという感じ。それもかなり贅沢な..



ライラックやバラが申し訳程度に植えてある。



誰もいない広場のベンチで昼食。

自分の庭園だと思えば大金持ちになった気分。

下の広場に赤い帽子の子供達がやって来た。

遊園地の機関車も親子一組だけ乗せて走っている。



広場から左へと森の休憩所に向かう。



クロガネモチの花が満開。

道端には背の高いミヤコグサ。

しかしこれは帰化植物のセイヨウミヤコグサだろう。

ワイルドフラワーとして法面などに播種されるようになり日本全国に増えているとか。



遊歩道の下には動物園。

フェンスがあり戸には鍵が掛かっていて中には入れない。

客が誰もいないので暇そうなシロクマと象さん。



森の休憩所の看板に従って登って行く。

この道も自然林を伐採して造った様だ。

造成した表土が剥き出しなので大雨でも降れば直ぐに流されてしまうだろう。



此処を真っ直ぐに登って行けば観察路で先ほどの市民の森まで行くことが出来るみたい。

私達は右へと下って行く。

立派なハイノキ科のクロバイが何本か有る。

夏には綺麗な白い花を咲かせるらしい。

モウソウ竹の林を下る。



モチノキ科のソヨゴの大木

竹林は伐採されて整理されている。



珍しいツブラジイも多い。

この木は根に特徴がある。

ウツボの様に縦に厚い根で木が倒れるのを防いでいるそうだ。

やがて池が幾つか有る。



大きなため池の周りも整備されているが誰にも出会わない。



方上の田園地帯を大谷町に向けて歩く。

北山町の方上小学校を越えて弁天山を探す。



小高い所に赤い建物が見えるので行ってみるが天神さんだった。

昔はこの辺まで海だったので弁天さんや天神さんが祀られているのだろう。

ヒナキキョウが風に揺れていた。

弁天山が解らないので大きなDIYセンターの若夫婦に道を尋ねる。

どうも行き過ぎてしまった様だ。



引き返して動物園と小松島への道の分岐を小松島方向に行く。

直ぐにこんもりした山?と有名なラーメン屋さんがある。



ラーメン屋さんに寄り20円を入れて登頂証明書を貰おうと思っていたら

お客さんがいるのに店の親父さんがわざわざ出てきて弁天山の説明をしてくれる。

弁天山が大好きなのだろう。

「昔は此処まで海だったので弁天山は島だった。

東京の学者が来て弁天山は立派な岩山だと感心していた。」

等と話してくれる。

それにしても小さな山だ。

赤石ノ浦勢合(現小松島市田野町)に上陸した義経が、山頂に源氏の象徴である白旗を掲げ、

軍勢の士気を高めたと言われている旗山の義経の騎馬像は日本一の高さがあり6.7mだそうだ。

この山は義経の像より低い!

赤い鳥居を見ると厳島神社と弁財天が祀られているらしい。



鳥居脇にはヒメレンゲ?の花。

お詣りして記帳ノートを見ると今日も神奈川県から二人ほど来ている。

パラパラとめくると圏外の人が半分位。しかも島根とか遠くの人が多い。

年間1万5千人が訪れるという。

この6月1日の山開きには500人ほどの人が訪れたらしい。



山裾の古い祠にもお詣りをしてあづり越えに向かう。

弁天さんの岩には波浪による浸食の後があり,地名の方上(カタノカミ)は潟の上(ガタノカミ)であるといわれている。

方上小学校の東に地蔵尊がある。



側の看板には弘法大師・義経も通ったあずり峠と書いてある。

古代の南海道は?としている。

小松島に上陸した義経軍は勝浦川を越えて勝占神社に参拝をし、あずり峠を越えて国分寺の方に向かったと言う。

(国土地理院の地図では「あづり峠」との表記だが地元では「あずり峠」と表記するらしい)



田園の広がる中を緩やかに登る。

見事な石垣の家が多い。

昔はミカン農家で栄えたのだろう。

やがて石段にぶつかる。



地蔵院の石柱には右歩道、左車道と書いてある。

真ん中の階段は?

階段を上りきると鳥居がある。

地蔵院ってお寺じゃなかったの?

鳥居の額を見ると「熊野神社」と読める。

五十猛命 を祀ってあるらしい。

紀州の熊野神社と関係有るのかな?

五十猛命 は樹木の神様だ。



境内は樹木が茂り不思議な空間を作っている。



古木がいい感じを出している。



久しく人の訪れた事のない様な草深い広場を過ぎると車道に出て狛犬がいる。



ひっそりと熊野神社が建っている。



何処までが熊野神社なのか地蔵院なのか解らない。



右に行くと東海寺地蔵院がある。

このお寺で義経は精進料理を食べている。メニューは玄米7、麦のご飯に山菜と湯豆腐梅干しであったとされている。

お礼に馬一頭と五反の地を賜ったと有る。

村人が怖がって近寄らなかった為、馬は飢え死してしまった。その馬を弔う古墳の蓋で造られた石碑があるとか。



宝篋印塔
がある。

また晩年モラエスが昭和4年に亡くなるまで、オヨネとコハルのお位牌を納めて手を合わせていた

自作の金箔の仏壇が今でもこのお寺に保存それているそうだ。



お墓には天明7年と刻まれている。

天明 7年(1787) 松平定信老中となる(寛政の改革始まる).

義経ゆかりの駒つぎの松,ちご桜が有るらしいが不明。



調べてみるとこのお寺は千手観音を本尊とする「国伝山千手院観音寺」だったとか。

蜂須賀が徳島城を築いた時に忌部神社の麓に本尊を移転し、「勢見山千手院観音寺」としたそうだ。

勢見山観音寺と言えば我が家の菩提寺だ。

昔、父親が地蔵橋の駅前を通る時そんな話をした様な気がする。

このお寺も観音寺と同じ高野山真言宗だ。

本尊の居なくなった観音寺は、千手観音の脇士であった地蔵菩薩を本尊とし、現在の寺号になったとか。



熊野神社の前を通り車道に出る。

ミカン畑を登って行くと農作業中の老夫婦が居たので、あずり峠への道である事を確認する。

狭い舗装路を登って行くと白色のトキワツユクサが咲き乱れている。



ミカン畑を右に見て作業道を登る。

農家は既に廃屋となっている。

ミカンの花が咲いてアゲハチョウが戯れている。



地蔵橋、小松島方面がよく見える。

中央の小さな緑が先ほど行った弁天山だ。

義経は右に見える山裾を伝いこの峠にやってきたのだろう。

目の前の田畑などはその頃殆どが海だったらしい。



廃屋の横に開拓記念碑がある。

昔この辺は有名な梅林だったらしく(方上小学校の校歌にも歌われている。)梅の実が沢山なっている。



舗装が途切れると昔ながらの峠道になるがあっと言う間にあずり峠に着く。

義経が、あずり(徳島の方言で苦労しての意味)ながら越えたのであずり峠と言われる様になったとの言い伝え。

しかし本当の名前は阿津伊地越と言うらしい。

弘法大師もこの峠を越えて恩山寺に入ったという。

この峠は古い遍路道でもあるらしい。

昔、今の徳島市街が開拓されていなかった時、国分寺方向からは一宮城城下の上八万を抜けてこの峠を越すのが

一般的だったかも知れない。

今でも徳島市街を歩くよりはこの峠を抜けた方が歩き遍路にとっては良いかも知れない。

是非大木からの道を整備して遍路道として復活して欲しい。



あずり峠で一服していると男女ペアが追い抜いていった。

NHKk送信塔から右に入る。



朝間違えて途中まで行った東展望台への道を下る。



立派な広い板張りの展望台に着く。

こんな立派なのがあるのを知らなかった。

私だけでなく殆どの市民が知らないのでは?

正面に眉山を望む事が出来る。



紫陽花散策路を下ると、先ほど追い抜いていった女性がまた登ってくる。

なんとこの女性は20年前から殆ど毎日この縦走道を3往復しているとか!!

トラックに乗っていたお兄ちゃんが教えてくれました。



駐車場に来ると紫陽花が綺麗に花を咲かせていた。

いつの間にか4時10分になっていた。

前から気になっていた弁天山と地蔵院を訪ねる事が出来た。

またゆっくりと住職からお話を聞きたいと思う。