南房総の旅  2007/03/14〜16
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− 花が一杯 南房総の春を満喫 阿波忌部族の足跡を辿る −

東京へ来てから随分と色々な所へ行った。

しかし南房総には行っていないことが気にかかる。

しかし、千葉には山らしい山が見あたらない。

有名なのは鋸山だが、ここは観光地のようで興味が湧かない。

登山としては伊予ヶ岳が岩場もあり楽しいらしい。

先週新日本百名山の沼津アルプスに行ったが、南房総にも新百名山の山があることを知った。

しかもこの山に登るのには花嫁街道というロマンチックな名前を持つ素敵な道を辿るらしい。

早速代休の残りを取得して出かけることにした。



会社契約のホテルが安房小湊にあるので其処を利用することとする。

ところで南房総には「安房」と付いた駅が沢山ある。

安房鴨川近辺地図

私は今まで興味がなかったこともあって「安房」の読み方が「あわ」であることを知らなかった。

何故「安房という地名が沢山あるの?なんて無知の極まり。

天富命(あめのとみのみこと)が四国・阿波の忌部(いんべ=朝廷の祭祀を司る古代氏族)を率い、

黒潮に乗って半島突端の布良(めら)に上陸して開拓し麻の栽培を始めて以来、

「あわ」と呼ばれるようになったと言い伝えられる。

弥生時代から古墳時代に入る2〜3世紀頃ことだ。

上陸地とされる館山には立派な安房神社がある。

もともと阿波忌部族は南方から黒潮に乗ってやって来た海人族とも関わりがあると言われている。

また神武天皇の命を受け、天富命(下の宮祭神)は、
天日鷲命の後裔を引き連れて、まず四国・阿波へ渡り開拓。
その後、阿波国の忌部を引き連れて、当地へ上陸し、開拓したとの社伝も残っているらしい。

遠い昔阿波に住んでいた麻などの高度な技術を持った一族(その前は何処に住んでいたのだろうか?)

が、志摩の波切や房総そして関東一円に勢力を伸ばしていったらしい。

一部は山陰や越後まで勢力を広げたらしい。

卑弥呼の邪馬台国に対抗した強国との説もあり、この頃の阿波は輝いていたのかも?

今でも房総の町々と阿波徳島では交流会が開催されているらしい。

格安シャトルバス(鴨川近辺のホテルが共同で運行、往復2000円)で浜松町10時出発。



バスはベイブリッジを渡り、お台場を通り東京湾アクアラインのトンネルに入る。

トンネルを抜けると海ほたる。

家内は初めてなので大喜び。



羽田空港から離着陸する飛行機が頭上を飛び交っている。

羽田空港に着陸する飛行機は北風の時は何時も、千葉の上空からこの海ほたるの上を空港に向かう。

東京湾上にぽつりと浮かぶ白い塔は「風の塔」アクアラインのエントツだ。

横浜方向を見るとベイブリッジの上にかすかに富士山の姿が見えている。

こうしてみると富士山はデカいなあ!



木更津から山間の道を行く。

道端には桜が満開。

12時過ぎに鴨川の潮騒市場に着く。予定より早く2時間ほどで到着した。



潮騒市場で弁当を買おうとしたが此処はお土産品ばかりで弁当は売っていない。

仕方がないのでパンを買って「渚のハイキング」に出発。

此処から安房小湊の駅まで約10qのコース。



浜辺にはもうハマダイコンの花が咲き乱れている。



ハマエンドウも砂浜で目立っている。

右を見ると磯村の弁天島が見える。あの辺りから歩き始める予定だったのだが...。



東条海岸が弓なりに美しい曲線を描いている。

あの右奥の岬まで歩く予定。

砂浜にタンポポのような花が咲いている背の低いこの花は何だろう?

調べるとハマニガナと思われる。



コウボウムギ(カヤツリグサ科)が群生している。

海辺にはウミネコが小魚を探して集まっている。

川が海に流れ込んでいる所では鴨たちが泳いでいる。



コガモの雄はとても綺麗。

雌は地味だが羽のグリーンが目立つ。



防風林が途切れたと思ったら鴨川シーワールドにやってきた。

平日というのに駐車場は一杯。



此処の海にもアザラシがやってくるらしい。

カモちゃんというらしいが..

豪華ホテルのような病院がある。



病院前に大きなヘリポートがある。

ジェットヘリの音が聞こえたと思ったらドクターヘリが下りてきた。

患者を搬送してきたようだ。

噂には聞いていたが専用ヘリを持つ病院なんて本当にあるんだ!



やがて磯が多くなるとかもめやウミネコが沢山見受けられるようになる。

葛ヶ崎を回る海岸には岩礁が多くて磯遊びに適しているみたい。

この岬にある二つの山は葛ヶ城跡。

鎖国時代にロシヤの船が上陸した所もある。

鎖国下にあった江戸時代の元文4年(1739)5月、天津村の沖合にロシアの探検隊が来航し、
布入の地に上陸しました。この上陸は、わが国(北海道を除く)で初めてのロシア人の上陸であり、
日本の歴史・外交史上でも重要な出来事です。


ロシアの黒船が下田にやってきた時よりもずっと以前にこの地に上陸していたんだ。



海岸にはソテツが沢山植わっていて如何にも南国らしい。



14時34分

磯にコンクリートの残骸があり「明神の鯛」の石碑がある。

明神の鯛は、天津城戸地先の海岸より南へ約200mの明神岩岡区の海域は、
水深3m〜4m(干潮時)と、たいへん浅いところに鯛が生息、多くの魚類も生息しています。
これは「鯛の浦」と同じように世界でも珍しい海域とされています。
伝説によると「初代天皇の御代天富命が東房総平定のため海路よりこの岬に上陸し、
清澄山を開き、長狭の平原を定め、里人に農事を教え、里人上陸の地を明神の岬と称した」といわれています。
この海域が昭和10年(1935年)3月26日に千葉県の天然記念物に指定されました


浅瀬に鯛が集まるというのは日蓮上人生誕の弛「鯛ノ浦」では有名だが、

この地では初代天皇の時代「天富命」がこの岬に上陸して清澄寺を開いたという。

何と古い話だ。

「天富命」と言うと阿波忌部族を引き連れてやって来たと言われているが、この地にも再上陸したのかな?



安房天津駅までやって来たので、コンビニがあるかもと思って国道に出ると立派な新築のお寺があった。

漁師町なので信仰心が厚いのだろう。

コンビニはなく商店は水曜日で休んでいた。



この鮮やかな朱の植物は?



天津の漁港を過ぎて実入海岸に来ると整備された公園になっている。

ソテツの赤い実が沢山なっている。

赤い蘇鉄の実も熟れ〜る頃..」なんて歌があったっけ..

磯は石灰岩と砂岩が浸食されたような平べったい磯となる。

今日のホテルは此処にあるが時間も早いので、もっと先に行く。

15時10分



松ヶ鼻までひなびた漁港を抜けていくとマテバシイが茂っている。

野猿が沢山いて木々の間で騒いでいる。

海岸道は鼻で途切れて通行止めとなっていた。

磯釣りの人が登るのか踏み跡があった。



引き返してホテルに行こうかとも思ったが、未だ時間も早いので磯でのんびり。



トンネル水族館があると聞いていたので安房小湊駅方面に歩いていく。

自動車用のトンネルの横に歩道トンネルがある。



トンネル内部に小学生など900人が描いた魚の絵があり水族館気分が味わえる。

トンネルを抜けると内之浦。

日本で一番の初日の出が見える場所に着く。

湾の向こうに日蓮上人の誕生寺と山の上に仏舎利塔。

右へと続く岬の手前は鯛ノ浦。

鯛が生息していて天然記念物となっている。



ゆっくりとホテルまで引き返し、ウェルカムドリンクの白ワインをいただく。


後はお風呂に入り、海鮮バイキングの夕食。

地酒をいただいて8時過ぎには就寝。

11qほどしか歩かなかったのに足の裏に大きなマメが出来て裂けている。

舗装路歩きはダメだなあ。

軟弱な足の裏ではお遍路は無理。

足の裏も鍛えておかなければなあ..

続く

***

それにしてもこの南房総の地に阿波忌部族の言い伝えが多く残ることに驚く。

徳島に住んでいた時にはそんな話は余り聞かなかった。

どうしてだろうと考えていると、もっともだと言うことに気が付いた。

阿波を出ていった人々のことは、郷里の阿波では情報が余り伝わってこない。

「みんな何処まで行ったのだろう?元気にしているかな?」

なんて具合だったのかな,?

何しろ黒潮に乗って北上するのは簡単だが、逆に黒潮に逆らって南下するのは難しかっただろう。

逆に阿波から出ていった人々は、何時までも郷里の阿波のことを覚えていて言い伝えてきたのだろう。

続く 


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